大学教授の定年

「総理大臣終えた後は政界引退を」 versus 「教授終えた後は・・・」 - 日々是好日
 定年退職した教授を活用するために、予算を与えてポスドクを付けようとの提言に対する反論が述べられている。
 ポイントは次の3点になると思う。官僚の天下りと似ているというのも全面的に同意する。

  • 「定年者がリーダーなんかになる必要はさらさらない」
  • 「定年までの間に、全力投球して後に悔いを残さないようにする」
  • 「自立した定年研究者でなければ、結局年寄りが若者を食い散らすだけ」

自立できない定年研究者が大勢を占める日本で、このような制度がかりに出来たとしても、結局年寄りが若者を食い散らすだけのことになるのではないか、と思うのである。

これは官僚の天下りを正当化するのと似た理屈にも受け取れる。官僚の古手も教授の古手も長年の体験で蓄積したノウハウの価値は計り知れないものがあるかもしれない。しかし本当に価値のあるノウハウなら後に続く現役世代がほったらかしにするはずがない。必ずや三顧の礼をもって教えを乞うであろう。その時はまさに恩返し、惜しみなくボランティアとして協力をすればよいのであって、定年者がリーダーなんかになる必要はさらさらないのである。

定年は組織に属する人間にとっては避けられない運命である。いつかはその時が来るのが自明の理なのである。その間、全力投球して後に悔いを残さないようにする、それでいいではないか。

定年後の研究者の能力を社会に役立たせる途はほかにいくらでもある。諸熊博士も述べておられるように政府や学界のいろいろな委員会で活躍するのも選択肢の一つである。科学の発展のために必要な人材を養成を始めとして、科学立国を目指しての必要な施策の立案など、要求されるのは現役時代の論文作りとはまた違った能力ではあるが、これこそ知識と経験の豊富な定年者に期待されるところであろうと思う。

ポストドクを人件費不要の大学院生代わりとの発想をお持ちのように見受けられる。自立した定年研究者にポストドクの手助けは不要であるが、一人で淋しいのなら百歩譲って二、三人のポストドクとグループを組むことも、現実問題としてはあり得るかと思う。しかし実験の多くをポストドクに依存するようではシニア研究者の資格は無しである。ましてや研究室を始終留守にして外で油の行商に精を出すようなシニアは論外である。