ため息だけでは

教授にお茶を出してもらう - わさっき

ある大学で,年配の教授にお茶を出してもらっても頭すら下げない学生たちと出くわしたことがある.学生が退席後,教授はため息をついた.「彼ら,勉強はよくできるのですが……」.

教員がお茶を出し,学生が退席後,ため息をついたというのでは,教育になっていません.

 教授がため息をつきたくなる気持ちも分かるけど、「教育になっていない」というのには同感。その場で注意もせずに「がっかりだ」とこぼすのは指導者としていかがなものかと思う。(人生の先達としてどうなのか、とも思うけど)
 それでもまあ、この例のように礼儀やマナーのように家庭で身に付けられるものならまだ「がっかりだ」で済ませられるかも知れない。でも、研究に関する知識や常識についても同じように考えている教授はいないだろうか。
 多くの大学の理科系学部では4年生から研究室に配属されることになっていると思うが、配属時に学生が卒業研究に必要な知識を持っていることはほとんど無い。また大学院でも、研究分野を変更したり、大学や研究室を移ってきた学生の基礎知識に穴があるということは普通にある。
 そういう学生に対しても、「勉強不足だ」と見限ってしまうのだろうか?