卒業研究の意味付けは誰がするか

 さらに、リンク先のその先に「大学院の教授がクソだと言われる一つの理由(追記「元増田です。予想以上に反響があったのでびっくりしています。 普段だった..」)」という記事があった。タイトルは口汚いが、内容にはかなり共感した。

 学生の「精神的な背骨」とやらに責任を押しつけるんじゃなくて、辛抱強くその研究がいかにすばらしいかを説き続けてください。それが本当の意味で理解できないから、自分の研究に発言に自信が持てないんです。

 あなたは自分自身でその「精神的な背骨」を手に入れたかも知れないけど、学生にそれを与えるのが大学の先生の仕事ですよ。それでお給料もらってるんでしょ。学生はその教育を受けるために学費払ってるんです。本来は。

 たまにはその研究がいかに重要か、いかにすばらしいかを話してみてください。学生の卒業研究テーマなんてほとんどの場合教授から与えられたもの、でしかないんです。なぜその研究が重要かわかんないけど、とりあえず言われたからやってみた。その程度の認識です。そして、その研究のことを一番よく知ってるのは自分ではなくて教授だと思ってます。だから黙るんです。自分のやったことがすばらいことだと納得出来れば、自然と自分の意見、主張が出てくるようになると思います。

 伝わらないだけならまだしも、学生に何かさせないといけないからと指導教官が適当にでっち上げたテーマや、指導が楽だからと結果の分かっているテーマを与えられた場合、学生は研究を進めれば進めるほど自分のやっていることが無意味に見えてどんどんやる気を失っていく*1

 しかも、最初にやる気のある学生ほど意欲を失いやすい。例えば学会で発表をしたときに、自分の発表内容がひどく浮いていることに気づいたり、誰にも関心を示してもらえなければ、意気込んで発表に臨んだ学生ほどがっかりする。また、既に自分と同じテーマをより高いレベルで研究した論文を見つければ、それ以上研究を続ける気持ちがしぼんでしまう。

 こういう時にはやはり、テーマを決定した指導教官が改めてきちんとテーマの意義を再認識させるように働きかける必要があるだろう。もっとも、指導教官自身がそのテーマに意味が無いと思っている場合はどうしようもないが…(指導のため適当にネタをでっち上げた場合はそういうこともあり得る)。

 研究テーマに意味を見出すのは学生の自己責任だ、甘えるなという人もいるだろうが、入学(入研究室)当初はやる気満々だった学生が何人も潰れたり退学していくのを見ていると、学生だけのせいだとは思えない。

*1:もちろん、やりつくされたように見えるテーマでも新しいアプローチができないとは言えないが、やはり相当に難しい。