他大学の大学院に進むか否か

W杯出場,学歴ロンダリング : ある理系社会人の思考
 自分も大学院の定員増加に乗っかる形で公立大から旧帝大の大学院に移ったクチだけど、学歴ロンダリングの意図はほとんど無かった。いやマジで。
 大学を変えた動機を強い順に書くとこんな感じ。

  1. ファインマンの伝記に、米国では他大学の大学院に進むのが普通だと書いてあった
  2. 旧帝大の(当時はそこそこ有名な)研究室なら高度な研究ができると思っていた
  3. 希望していた分野の研究をやれそうだった
  4. 他の研究室の様子を知りたかった
  5. 研究分野での人脈を広げたかった
  6. (研究室以外の)人間関係に疲れて新しい場所に行きたかった
  7. 実家を出て一人暮らしをしたかった

 2,3の期待は見事に裏切られたけど、それ以外はそれなりに期待通りだったと思う。学歴ロンダリングの効果は…実感したことは無い。

 ちなみに学部時代にいた研究室には何の不満も無くて、今考えても学生にとってはかなり良い研究室だった。研究予算は少なかったけど指導は結構手厚く、そこで半年ほどの間に教わったことがその後とても役に立っている。それだけに研究室を移るかどうか当時もかなり迷ったが、研究室の人が誰も引きとめてくれなかった(泣)ので*1、環境を変えるために移ることに決めた。
 まあこれが人生の選択として結果的に大失敗だったわけで。

 老婆心ながら言うと、他所の大学院に進むか今居る研究室に残るかを迷っている大学4年生は、今の研究室に大きな不満が無ければ残ることを優先した方が良いと思う*2。学生を潰しまくっている研究室が何のお咎めもなく存続し続けている日本では、新天地で心機一転…のつもりで研究室を移るリスクは低くない。うっかりダメダメな研究室(と言うか指導者)に当たると心身の健康や命まで損ねかねない。
 特に重視すべきは教官の人格と指導能力で、研究費の多寡や研究テーマよりも、教官が指導に責任をもっているかどうかが学生にとっては何より重要*3。たとえその教官の与えるテーマが自分の希望と少々違っていても、学位を取るまでの研究活動は「研究」そのものではなく「研究の進め方のトレーニング」だと思って当たると良いと思う。

*1:家庭や友人関係にナイーブになっていたのもあって

*2:可能なら米国の大学院に進むのがさらに良い、多分

*3:そういう教官は貴重