「もっと貢献を!」とか言う人達

この前のひろゆき氏への質問と言い、他人に社会貢献をねだる人はどこにでもいるようだ。

経営を引退して個人として好きな生き方をしている私に多くの日本の知人から真剣に、「もっと社会に貢献できるはず」とか、「日中の架け橋になってください」とか言われます。

「自立」は「孤立」の代名詞: 宋文洲のメルマガの読者広場

他力本願というかなんというか。こんなこと言われたら気持ちわるいだろうと思う。ある意味ちょっと恐い。

実はこんなことは中国の知人からは一度も言われたことがないのです。共産党の宣伝機関は別として政治家でもない一般人にこんなことを言われてとても不思議な気分です。偽善さえ感じます。

「自立」は「孤立」の代名詞: 宋文洲のメルマガの読者広場

偽善というか、どうも悠々自適に暮らしている宋さんへの妬みが裏にある気がする。もっとも本人は自覚していないかもしれないが。
おそらくこういう人達は宋さんの財産を羨んでいるわけではなく、好きな生き方を楽しむことのできるメンタリティが気に入らないのだと思う。つまり「自分がやりたくてもできない」好きな生き方やってる宋さんが気に入らないから、何か仕事をさせたいという心理である。
どうも日本人には、一生暮らせるだけの財産ができてもいつまでも仕事にしがみつく人が多い*1。よく言われるように、その執着は肩書や収入のような社会的なを失うことへの恐怖からきているように思える。引退してただの個人に戻ったときに自分が空っぽであることを知ることを恐れているということだ。
困ったことに、そういう人の中には無意識下では「辞めたいけど恐くて辞められない」という葛藤をかかえていて、そのためにこの葛藤と無関係に気楽に生きている(ように見える)人を許せない人がいる。その憎悪にも似た感情が、ひろゆき氏や宋さんへの「もっと貢献を!」という発言の裏にある気がして仕方がない。

これは推測だが、宋さん達に社会貢献を求める人達は、自分が何かやりたいから「一緒にやりませんか?」とか「力を貸してくれませんか?」といったことは言わないのではなかろうか。何かやるべきなのは「暇なアンタ」で、自分は既に「十分に我慢している」と考えていれば、自分から何かをすることは無いだろう。


ところでこの「自分も我慢してるんだからお前も我慢しろ」というのは日本では至るところで聞かされる理屈だが、はたして他国ではどれくらい通用するのだろう?

*1:老人がいつまでも席を空けてくれなくて、非常に迷惑であることが多い