大学院生は使い捨て

うすっぺら日記
大学院生は利用され使い捨てられているのか : 5号館を出て
やっとこの事を取り上げる大学教官が現れてくれたか、というのが正直な感想です。私自身いまだ渦中にいるのであまり詳しくは書けないのですが、常に頭を悩ませてきた問題です。

大学院の研究室というところは、進学してきた学生がその後どうなろうが知ったこっちゃないというところに非常に問題があるように思えます。

大学では、学生が途中で研究室を辞めて出て行っても、学位取得ができず留年することになっても、基本的に教官は別に何ら傷付かないのです。

さらに、精神的にバランスを崩しても、もしかしたら自殺者が出ても何ら問題にならない研究室もあるかもしれません。

私のいる(いた)研究室ではほぼ毎年1人のペースで退学、留年(テーマに無理があった)、精神失調、引きこもりなどが起き続けた時期がありました。*1
このように苦しむ学生たちは、大抵次のような言葉で切り捨てられていました。

「最近の学生は(根性、学力、覇気、真剣さ)が足りない。扱いにくくて困ったものだ。」

時々ならそういうこともあるでしょう。しかし毎年起こっているのです。毎年のように退学・留年・精神失調が起こっていれば、普通は研究室の運営に何らかの問題があることを疑うではないかと考えると思うのですが、私には教授がそのように考えているようには見えませんでした。本心は分かりません。

学生が退学やうつ傾向になりやすい環境として、少なくとも2種類があるように思います。まず、教官が業績を追い求めるあまり学生を使い捨てにする場合。これについてはうすっぺら日記に詳しく書かれています。比較的人海戦術のやりやすい化学・生物分野で多いように思います。
もうひとつは、研究室がきちんとした研究テーマや研究環境を提供できない場合です。私の経験したものはこちらの場合がほとんどだったように思います。
問題を抱えていた学生達の言い分としては、「自分のやっている研究の意義が分からない」「学会で発表しても誰も興味を示してくれない」「予算が無くて実験を進めることができない」「議論をする相手がいない」といったものが大半でした。ちゃんとした研究をしたいという思いの強い真面目な学生ほど、こういった現実とのギャップに悩み苦しんだのだと思います。
辞めていった彼ら彼女らの多くは大学院入試の成績も良く、私の目から見ても真面目な人物でした。その証拠に当初は教授自身がそういった学生たちを優秀と認め、進学を勧めたりしていたのです。


そもそも小学校から高校までに比べて、大学・大学院の「教育」が問題にされることはあまりありません。たまに取り上げられても学生の学力や卒業後の進路についての問題ばかりで、指導者の質や研究環境が問題視されることはほとんどありません*2。意地悪な言い方をすれば、大学の教員というのは自身の指導力を棚に上げ「学生の学力が低下している。嘆かわしい」と言っているだけで許されているような気がします。学生の側に問題が全く無いとは言いませんが、こういう批判をするにはそれ以外の要素が整備されていることが前提であるはずです。学生のふがいなさを責める前に自分たちが指導者・研究室の運営者としての職務を果たせているかを考えていただきたいと思います。

このような指摘をすると、「大学院は研究の場で、勉強は自分でするものだ」という反論が返ってきそうです。しかし、これは学生側の責任を言っているだけで、教員が責任を果たしているかについては何の回答にもなっていません。大学の教員の中には、自分達は「研究者」であって教育は義務ではないと考えておられる方が結構おられるようです。しかしこれは(少なくとも半分は)間違いだと思います。そもそも教育機関である大学に職を得ている以上、教員の最重要ミッションは教育ではないのでしょうか。少なくとも給料は教育に対して支払われているはずです。なぜなら研究をやるかやらないかは教員の自己責任であるのに対し、授業や研究室への学生の受け入れは義務だからです*3。「ここは研究の場だ」と言い逃れをされる方々は、「教授」という漢字の意味も分からないのでしょうか。研究だけををしていたいのであれば企業や機関に移るか、自分で研究所を立ち上げていただいたらどうでしょうか。そうなれば若手研究者のポスト不足もいくらかは解消されるのではないでしょうか。

研究機関や企業では自分のやりたい研究ができないのであれば、その研究は社会から必要と思われていないのでしょう。応用偏重がの風潮が必ずしも良いとは思えませんが、「他者が必要とする何か」を提供することで代価(給料)を得るのが職業の基本です。辛辣な言い方になりますが、多くの大学教員が学問的にも社会的にも意味があるとも思えない趣味的研究をのんべんだらりとやっていても許されるのは、教育が本分、すなわち教員の給料は教育に対して支払われているからではないのでしょうか。


ここまで教員に対しての批判ばかり書いてきましたが、大学や大学教員をとりまく環境にも原因があるのは確実でしょう。大学院重点化という政府の「失業対策」で大学院生が激増したことを始め、トップ大学30や独立行政法人化など、教員にとってもしんどい時代が続いているとは思います。
しかしそれらは同時に学生にとってもしんどい事なのです。もしかしたら優秀な研究者・技術者になれたはずの人材を潰してしまったのかもしれません。

何より失なわれた学生たちの時間は決して帰ってきません。

*1:最近はずいぶん改善しているようですが…

*2:いじめやしつけなどで手一杯の教育再生会議には全く期待できないでしょう

*3:推測で書いてますが多分そうでしょう