出勤前に母から、祖母の容態がかなり悪くなってきたとの電話。主治医ももう時間の問題だと言っているらしい。
 仕事場から病院へ直接行けるように準備をしてからとりあえず出勤。午後から早退するかどうか迷っていると、昼前に母から少し持ち直したとのメールがきたので早退はせずに勤務。
 午後3時前に母から、いよいよ危なそうとの電話。早退させてもらって病院へ。車にに着替えと泊まり支度を用意しておいたので、会社の駐車場で着替えてそのまま病院へ。
 病院に着くと病室には両親が。一旦帰った父親も自分と同じく連絡を受けて病院に来ていた。
 連絡を受けた時点より祖母の様態は少し持ち直してはいたが、血圧も血中酸素濃度もだいぶ低くなっていた。意識もすでに無く、呼吸が上手くできないようで肩で息をするようにしていた。
 病院に向かっている伯父から、病状と治療についての説明を主治医からちゃんと聞きたいという連絡があり、母親が看護師さんに頼んで夕方の6時から主治医の説明を受けられるようにしてもらった。
 夕方5時半頃に伯父が到着。自分は飲み物を買いに少し席をはずしている間に主治医の説明が始まっていた。少し遅れて自分も伯父と母と一緒にICU内で説明を聞いた。
 主病因は心不全で、心臓の大動脈弁狭窄症と心筋の衰弱のため、入院時点で血液のポンプ機能が正常の半分以下に下がっていたらしい。心臓の衰弱によって血流が悪くなり、血中の水分を腎臓で十分にろ過できなくなったために肺に水分が染み出して肺水腫を起こしているのだとか(心臓ぜんそくとも言うようだ)。そういえば2日ほど前には鼻水が出ていたが(その頃は祖母は自分で鼻をかむこともできた)、あれも水分が染み出していたせいかも知れない。
 おそらく風邪か何かがきっかけで心臓の動きが悪くなって発症したのだろうということだった。
 伯父は肺に溜まった水を抜けば少しは楽になるのではないだろうかと訝っていたが、主治医から、単に水を抜くと体液バランスが崩れてショック症状を起こしかねないし原因である血流を改善しないと水はすぐまた溜まるとの説明を受けて納得したようでホッとした。
 主治医は若い循環器系の内科医だったが、心不全は内科的な治療が難しく、有効な処置としては心臓の手術になるらしい。患者が80歳くらいなら手術を勧めるか迷うが、90歳を過ぎた祖母には勧められない。無理に体にメスやチューブを入れるよりもこのまま成り行きに任せるのを勧めるとのことだった。家族である我々としても無理な延命で苦しませたくは無く、医師の方針に任せることにした。
 医師は自分と同じか年下に見えたが、わざわざ説明のために病院に足を運んで伯父が納得できるように丁寧に説明してもらえたのがありがたかった。
 
 医師によれば祖母の容態はゆっくり坂を下っているところだと言う。今の呼吸は傍目にはしんどそうに見えるが、本人にとってはそうではない(と言われている)とのことだった。本当につらくないかどうかは本人以外には分からないし、もしかしたら医師の方便だったのかも知れないが、そう言ってもらえて少し気は楽になった。
 その後もしばらく容態に大きな変化は無かったので、今のうちに亡くなった後の準備をしてくると言って、午後6時過ぎに両親は一旦家に帰っていった。自分は伯父と二人で祖母に付き添いながら両親が戻ってくるのを待った。
 午後7時を過ぎてしばらくすると祖母の容態が少し変化した。呼吸が弱くなり、酸素濃度が下がった。1時間ほどで戻ってくるはずの両親に連絡することも考えたが、運転中に動転させたくなかったので、そのまま待つことにした。
 7時45分を回ると容態はいよいよ悪くなり出した。看護師さんが何度も様子を見に来るようになり、娘さん(母親のこと)はいつ来られますかと訊かれたりもした。予想していた時間よりも両親の戻りが遅いので、自分もだいぶ焦れていた。
 やがていよいよ息が弱く、途切れ途切れになりだした。看護師さんも付きっ切りになった。さすがに我慢できなくなり、父親に電話をかけてみるとまだ家に居ると言う。急がなくていいから速やかに病院に来てくれるように伝えて病室に戻ると、ほどなく祖母は息を引き取った。

 午後8時、祖母永眠。享年93歳。 

 伯父と一緒に当直医による死亡確認を聞き、看護師さんが体からチュールやセンサを外している間に両親に連絡した。こちらに向かって車を走らせているところだったので、もう急がなくていいから落ち着いて来るように伝えた。
 面倒を見ていた母親が最期に立ち会えなかったのは非常に残念だったが、母親は伯父と自分が看取ってくれたからそれで良いと言っていた。
 しばらくして両親が到着して祖母と対面した。ナースステーションに対面が済んだことを伝えて、死後の処置をお願いした。
 自分たちは見舞い客用の控え室に移動し、打ち合わせてあったとおりに葬儀社や近しい親戚に連絡をした。葬儀は祖母が長くすごした家(伯父の家、母親の実家)の近くの葬儀社に頼むことになっていた。祖母は病院から葬儀社の式場に連れて行くことになっていたが、やはり一度家に帰らせてあげたいという伯父と母親の希望で、予定を変更することになった。
 葬儀社からの迎えが来るまで2時間ほどあったので、その間に夕食を摂ることにした。伯父と二人で近くのコンビニに行っておにぎりや巻き寿司などを適当に買って控え室に戻ると、母親は祖母の付き添いで霊安室に行ったということだったので、伯父と父親で先に夕飯を食べた。
 食後、伯父と父はさっき両親が家から運んできた荷物(祖母の布団や喪服)を伯父の車に乗せ替えるために駐車場に向かった。迎えの車が来たら、母は祖母と一緒に葬儀社の車に乗り、伯父は自分の車でそれぞれ伯父の家に行くことになっている。両親が乗ってきた車は父が自分の家に乗って帰るので、それまでに荷物を積み替えておかないといけない。
 自分は地下にある霊安室に行って母と付き添いを交代した。母にはおにぎりとお茶で簡単に食事を摂ってから、荷物の積み替えに間違いがないか(伯父と父は二人してそういうことに頼りないので)確認に行ってもらった。
 しばらくすると母が戻ってきたので一緒に霊安室で迎えを待った。伯父と父は病院の外で葬儀社からの車を待っているらしい。ほどなく迎えが到着し、祖母を乗せた後で母も後部座席に乗り込んだ。自分は車が病院から出て行くのを見送った後、一緒に見送ってくれた病院スタッフにお礼を言って、1Fに上がった。
 伯父と父がどこで何をしているのかわからなかったので駐車場に行ってみると、電話をかけてみると、まだ二人して病院のホールで迎えの車を待っているのだという(こういうところが二人の抜けているところ)。もう出発したことを伝えると病院の裏口からあたふたと二人が出てきた。
 伯父はすぐに母親たちを追って自分の家に向かった。父親と自分はそれぞれ家に戻った。