理科離れ対策の本質

http://blog.mf-davinci.com/mori_log/archives/2008/10/post_2167.php

 しかし、教育が悪い、という意見を耳にする。実験を見せたりして、好奇心を持たせるような楽しい理科の授業をすることが対策として叫ばれている。これには、僕はあまり感心しない。

 自分も以前からこんな(文字通りの)子供だましに効果はないと考えてきた。小学生のある時期に理科に興味をもったとしても、成長して世の中が見え始めれば文系の方が得だということがわかってくる。
 実際に理数系離れが進むのは中学生から高校生だと言うデータもあるし、教育で工夫をするならむしろこの時期だろう。とか言うと「とにかく分量を減らせばいいだろう」と安直に考える人間が授業内容をスカスカにしてしまう。

 そういう問題よりも、今の大人たちが理系に対して持っている偏見の方が、子供たちに与える影響は大きいだろう。算数や理科ができたって社会では役に立たない。そんな小難しいことを考えてどうするのだ? 政治家も社長も、偉い人はみんな文系じゃないか。社会を支配しているのは文系の人間なのだ。理系はみんなオタクで、わけのわからない人間ばかりだ。理系は人間味がない。理系は人情がわからない。そういった目で見ているから、それが子供に伝わる。

まったく同意。

 研究に金を使う企業が少ないから、日本では才能を活かして食べていく道がない。
 強い言葉を使えば、理系は日本では「迫害」されている。だから、子供たちが理科離れするのもしかたがない。これは、今に始まったことではなく、既に大人になっている若者たちは「技術離れ」の年代だ。

 つくづくそう思う。
 付け加えると、特に若手の研究者や開発者に金を使わせない。研究予算も研究の一番おいしいところ(研究テーマの選択や業績)は年配者が独占している。ポスドク問題にはその構造が露骨に表れている。

 そもそも、「日本の経済的発展が危ぶまれる」という理由でしか、理科離れを問題視できないあたりが、いかにも文系だ。

 これまた同意。メディアでは「理科離れ」はほとんど「経済発展の危機」と同義で語られる。
 つまり理数系の人材はGDPを上げるための道具だというわけだ。昨今の「理科離れ対策」の本当の本意は、理科手品で子供を騙して経済発展の道具に仕立て上げることにあるのだろう。

 最近は、道具が老朽化してきた(団塊世代の退職)のに代わりが入手困難(理系人材の不足)になってきたので、慌てて子供をそそのかしている。もしくは手っ取り早く外国から調達しようとしている。でも所詮は道具にすぎないのだから待遇を改善する気などさらさらない。