細かくない研究というのはギャンブルであり、失敗すると何も得られないが、何も成果を出さなくていい人材は社会の中では修士くらいしかいないだろう、という趣旨である。
まあそうかも。4回生だと時間的にも能力的にも不足感があるし。
「修士も今は成果に見える何かを出さざるを得ない。なぜなら『何もできませんでした』だと指導教員が馬鹿にされるからだ。要するに、教員の見栄だ」
たとえ見栄でも学生に成果を出させようとする動機にはなる。高尚な動機でなくてもそれをもって指導しているだけマシ。
見栄すら失った教員の指導*1は「成功しても意味が無く、しかも成果が出ない」という、学生にとって最悪のものになる。
周りの教員の白い目さえ気にしければ、いくらでも無責任に振舞える(らしい)のが大学の教員なのだから。
*1:と称するのもはばかられる茶番