戦略なき実験(ごっこ)

 記事の本筋ではないある箇所が心の琴線(怒り線?)に触れたので、しばらくぶりに大学恨み節。
文具に凝るといふことを化学者もしてみむとてするなり : ① 「ほんとスタンド」 の巻 | Chem-Station (ケムステ)

筆者は、デスクワークを実験と同じぐらい重要視しています。
人海戦術で何とかできないようなインパクトあるテーマ設定をしたいなら、勉強して戦略を立てないといけない。行き当たりばったりでは探索範囲が広すぎて、当たりを引くのなんてまず無理だろ」と考えるためです。

 まったくもってその通り。そもそも「実験」は「予想や仮説を確認する」ための作業であって、なんの算段も無しに実験機材をいじっているのは時間の無駄。
 もちろん実験技術の練習やほかの研究者の成果の確認(追試)を目的とした実験もあるし、手を動かしているうちに思いもかけない発見があったりアイデアが降ってくることもあるので、無目的な実験すべてを否定することはないだろうけど。
 だから、「先輩の論文に載っているとおりの「実験」を延々やっとけ。そのうちなんかネタが見つかるだろ。」とか、まぐれを期待するのは「指導」としては最低レベル。しかも不安になった学生が関連論文などを調べ始めると「他人の論文なんか読むとやることが残ってない気になるから読むな。」と*1いう「指導」を入れたりする。それでいて結果的に何もネタが出なかったときに学位を取れないリスクは全部学生にひっかぶせるんだから…。
 仕分けで予算が減ったとか、事務仕事が増えたとか、大学教員にも気の毒な事情はあるけど、たとえそういった条件が改善されてもこういう無責任な教員がまともな指導ができるかどうか大いに疑問がある。本当に個人的な怨みだけど、この手の教員をどうにかする仕組みが無いならアカデミアを支援する気にはなれない。

*1:一面の真理ではあるが