超・ピーターの法則

http://www.asahi.com/business/topics/katsuma/TKY201004110098.html

 教育学者のローレンス・J・ピーターは、「なぜ、組織には無能な上司が多いのか」をテーマとした画期的な研究を1969年に発表しました。

 結論をとてもシンプルにまとめると、「人は能力の限界まで出世し、無能レベルに達すると出世が止まるため、大多数の上司は無能な上司なのである」ということになります。

 もう少し具体的に言うとこういうこと。
 例えば、ある課長がいたとする。この人の能力は、課長は務まるが部長は務まらないレベルにあるとする。この人は課長の仕事はそれなりにこなせるので、それが認められてやがて部長に昇格する。ところがあいにく、この人は部長の仕事をこなすには能力不足なので、ここに一人のダメ部長が誕生する。そして、このダメ部長は成績を上げられないたゆえにそれ以上出世することはなく、そのままダメ部長でありつづける。
 同様のことは組織のあらゆる階層で起こる。このようにして組織の中で分不相応な地位に人員が吹き溜まることをピーターの法則と呼ぶ。

無能のレベルを越えて

 日本の企業ではその人事慣習のためにさらに深刻な無能化を起こしやすい。
 多くの企業では、能力や業績とは関係のない年功・縁故・温情といった要因で昇進が決まることが(昔ほどではなくなったとは言え)まだまだ少なくない。そのため、たとえ業績の無いダメ部長であっても、長く勤務し続けることで「無能のレベルを越えて」さらに昇進することがある。いわば「超・ピーターの法則」である。

肩書きインフレ

 ピーターは、無能上司を減らすために、「昇給はしても、むやみやたらに昇格はさせない」などの方法を推奨します。

 ピーターの提言とは逆に、日本には「肩書きだけ立派にして、むしろ給料は減らす」ような方法をとっている会社が多い気がする。
 肩書きを乱発する会社は社員数の割に管理職がやたら多くなるので、社員の約1/3が部長以上などといったおかしな組織が出来上がる。こういう組織では管理職一人あたりの部下は少なく、その権限や裁量も小さくなる。肩書きを奮発したところで仕事が減るわけではないので、必然的に「管理職」も現場の仕事をこなさないといけなくなる。つまり、肩書きは管理職でも業務内容は下っ端と同じという「名ばかり管理職」が大勢生まれることになる。

別名:プレイングマネージャ

 この「名ばかり管理職」は往々にして「プレイングマネージャー」という別名で呼ばれる。
 「プレイングマネージャ」にはそもそも必要な権限が与えられてないせいもあるが、本人にも自分がマネジメントをしなければならないという自覚に欠けることも少なくない。いつまでも現場仕事を続けているので意識を切り替えにくいせいだ。結果、マネジメントはまともに行われず現場は疲弊する。

フォロワーシップの限界

 残念ながら、「ピーターの法則」通りの上司の下で働くことになった場合には、自ら強力なフォロワーシップを発揮して気の毒な上司を助けるよう、考え方を変えてみてください。

 短期的にならともかく、長期に渡って「気の毒な上司」を助け続けるモチベーションを維持するのは難しい。
 上司を助けて昇進させ、自分がその後に座るのをモチベーションにするという手も無くはないが、そうとうに人身掌握術と根気のある人でないと無理な気がする。また、無能の上司を無理に昇進させることで組織そのものを衰退させる危険性がある。
 それにそもそも、これはある程度ヒエラルキーが深い組織でないと成り立たない。フラットな組織で起こりがちだが、上司がそれ以上昇進しない上がりの地位にいる場合には下から押し上げることは不可能だ。

月並みな結論

 結局たいていの場合、上司に不満を持つ部下にできることは、昇級や昇進は諦めて日々の仕事そのものにやりがいを見出すか、その組織を出ていくかしか無いように思える。
 企業がそういう部下(若手)を引き止めたいのであれば、部下力云々言っていないで、降格を気軽にできるようにして上下方向の流動性を高めるか、プロジェクトごとにリーダーを決めて、終わったら解散するようなフラットな運営に変えていくしか無いんじゃないだろうか。