「これを知る者はこれを好む者にしかず。これを好む者はこれを楽しむ者にしかず」

私の大好きな論語の言葉である*1


404 Blog Not Found:勉強したら負けだと思っている

私も「勉強」より「学習」が好き。「勉強」からはどうしても「我慢」「苦行」を連想してしまう。そういえば江川達也氏の「GOLDEN BOY」というマンガでも、あえて「お」をつけた「お勉強」という言葉が使われていた。これも語感を柔らかくするためだったのかもしれない。

一方の「学習」から私は論語の「学びて時に之を習う」を連想する。養老孟司氏によれば「学」は座学、情報入力のことで、「習」は演習、実技のことを意味する*2
つまり「学びて時に之を習う」=「情報を取り入れて(入力)、実際に試してみる(出力)」
これが孔子にとっての学習の理想形なのだろう。
この意味では、日本の教育はあまりに「習」を疎かにしている。学校で学んだことは実生活に役に立たないとは言い古されたことであるが、その原因は使い方の練習不足なのだ。英語などはその典型で、コミュニケーションの道具として使いこなす練習をしていないのに、実践でいきなり使えるはずがない。まさに畳の上の水練と言える。

ちなみに理科離れ対策の一つとして実験の充実が挙げられているが、ショーとして見せるだけでは効果は低いだろう。やはり学生が自分でいろいろやってみることのできる環境を整えることが重要だと思う。*3
もちろん教科書に書いてある事実を再現するだけの「実験」は実につまらないから却下である。

*1:「知識のある者は好きでやっている者には敵わない。好きでやっている者は、楽しんでしまっている者には敵わない。」

*2:たしかに活け花、ソロバン、楽器などの「習い事」は全部体技である。

*3:例えば各自で持ちよった切片を顕微鏡で観察して何の欠片なのかを当てるとか。簡易分光器を作っていろんな物の反射光や発光のスペクトルを調べるとか。