成果主義ごっこ

ちょうど今日、この半期の達成目標の自己評価を提出してきました。前回は目標も自己評価もそれなりにまじめに考えたけど。今回は非常に適当にすませました。
上のほうは目標管理とか成果主義とかの真似っこがしたくてしかたが無いようですが、片腹痛いです。

成果主義が現実的でない理由は経営者にこそある。
「成果」が何かをキッチリさせないほうがうやむやにしやすいからである。
成果を求めてやまないははずの者がそうするんだからうまくいくはずが無い。

目に見えないものを人が評価する時、
自身の利害関係が持ち込まれる。
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特に同族会社では成果主義など百害あって一理なしです。成果主義を導入したら「身内」を優遇できなくなるじゃないですか。この手の会社の至上命題は「身内」に利益を誘導することがなのだから、優秀でない身内がいる場合は特に、成果主義の実施など出来ない相談なのです。
ところがこういう会社でも別の動機で成果主義ごっこを始めることがあります。

私の今いる会社でも一昨年から成果主義ごっこを始めました。意外なことに言い出しっぺはボンボン1号なのだそうです。この御仁、余計な書類を増やしたり無駄な会議をしたりするのが大好きなくせに、目に見えるアウトプットを全く出さないので、どうやって毎日時間をつぶしているのか不思議で仕方が無いほどです。なので、成果主義など導入したら彼自身が不利益を被るのは火を見るより明らかだったのですが、彼は知恵をしぼってこれを回避しました。

部長以上は目標を立てなくても良い。

アホですか?
本来先頭に立って業務を遂行していくはずの管理職は目標を立てる必要は無い。そのかわり「下っ端が良きに計らえ」「そして会社(我らに)に利益をもたらせ」というわけです。各自がどういう方向に努力するかをコーディネートする必要は無いと?そういえば、アリが寄ってたかって大きな餌を運ぶときは、各自がバラバラな方向に引っ張っているように見えて、不思議といつのまにか巣穴に到着します。これと同じことをを狙っているわけなのでしょうか?
この人は普段から「私は何もわからないので皆で努力してうまくやって下さい」とか、恥ずかしげもなく言う人でした。きっと自分の給料が何に対して支払われてるか考えたことなど無いのでしょう。

こういう醜態までさらして成果主義ごっこをする動機が何なのかと言うと、年齢給を止めたいからです。この会社、年齢構成が社会全体と違っていて、30代後半の社員が非常に多いのです。つまり、これから20年ほどは定年退職する人間がほとんどいないので、退職で浮いた人件費を昇給に回すという手が使えないのです。とすると年齢給は早晩破綻することは目に見えています。ここで、あらかじめ「うちは年齢給をやめて成果主義で行く」と言っておけば、昇給ゼロの言い訳が立つというワケ。
その一方、年齢給を完全に廃止しても「身内」は昇給しなければなりません。なぜならそれこそが会社の存在理由であり至上命題だからです。ところがこれは簡単で、既に身内の人々に配分してある「役職」に対する手当を引き上げればいいだけです。決算書を社員に隠しているのも、おそらくは役員報酬が増やした時のためなのでしょう。

この狙いを裏付ける暴挙をこの会社はかつて行ったことがあります。ある年いきなり身内以外の部長を「グループリーダー」に格下げして役職手当を剥奪したのです。たちまち社内に怨嗟の声が吹き荒れて生産性が急落したので、次の年にはほぼ元に近い状態に戻りました。我々若手(当時)はこのいきさつを見て将来の希望など捨てたものです。

プログラム作りなんて目に見えないものが正しく評価されるなんてのは夢見物語だな。
ってことを思うと、この制度が導入された暁には、間違いなくさらにひどい状況になることが想像に難くない。
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小さな会社だとみんなが別々の仕事をしていて、社内に比較対象が無かったりします。そうなると評価などまったくもって経営陣のやりたい放題になります。そもそもケチをつけるところが全く無い仕事などありえないのですから。私の場合、情報系の博士をごっそり雇って世界的に販売している競合会社のソフトウェアと比べてアンタのソフトが劣っているから、という理由で低い評価をつけられたことがあります。こっちゃ全部一人でやっとるんや!
それでも当時は報酬がさほど減ったわけでは無いので、はなから評価で差を付ける気はなかったのでしょう。ですが、都合が悪くなればいつでも減額することは可能なわけです。