大学は科学技術立国にどれほど貢献しているのだろうか?

 事業仕分けに対するノーベル賞フィールズ賞科学者からの声明に、ちょっと引っかかった。

ノーベル賞受賞者・フィールズ賞受賞者、「事業仕分けに対する緊急声明」 (全国国公私立大学の事件情報)(そのうち記事が消えるかも知れないので全文引用)

事業仕分けに対する緊急声明と科学技術予算をめぐる緊急討論会
ノーベル賞受賞者フィールズ賞受賞者による声明


 学術および科学技術に関する「事業仕分け」によって現在進行中の科学技術政策決定手順について深く憂慮するノーベル賞受賞者フィールズ賞受賞者をはじめとするわれわれ研究者が急きょ集い、討論した結果、以下のような声明を発表することに決した。


声 明


 資源のない我が国が未来を持つためには、「科学技術創造立国」と「知的存在感ある国」こそが目指すべき目標でなければならない。この目標を実現するために、苦しい財政事情の中でも、学術と科学技術に対して、科学研究費補助金を始め、それなりの配慮がなされてきた。このことを私たちは、研究者に対する国民の信頼と負託として受け止め、それに応えるべく日夜研究に打ち込んでいる。
 学術と科学技術は、知的創造活動であり、その創造の源泉は人にある。優秀な人材を絶え間なく研究の世界に吸引し、育てながら、着実に「知」を蓄積し続けることが、「科学技術創造立国」にとって不可欠なのである。この積み上げの継続が一旦中断されると、人材が枯渇し、次なる発展を担うべき者がいないという《取り返しのつかない》事態に陥る。
 現在進行中の科学技術および学術に関する予算要求点検作業は、当該諸事業の評価において大いに問題があるばかりではなく、若者を我が国の学術・科学技術の世界から遠ざけ、あるいは海外流出を惹き起こすという深刻な結果をもたらすものであり、「科学技術創造立国」とは逆の方向を向いたものである。
 学術と科学技術に対する予算の編成にあたっては、このような点検の結論をそのまま反映させるのではなく、学術と科学技術の専門家の意見を取り入れ、大学や研究機関運営の基盤的経費や研究開発費等に関する配慮を行い、将来に禍根を残すことのないよう、強く望むものである。


平成21 年11 月25 日


【発表者】
江崎 玲於奈 (1973年 ノーベル物理学賞受賞者)
利根川 進(1987年 ノーベル生理学・医学賞受賞者)
森 重文 (1990年 フィールズ賞受賞者)
野依 良治 (2001年 ノーベル化学賞受賞者)
小林 誠 (2008年 ノーベル物理学賞受賞者)

 またしても「科学技術立国」*1が錦の御旗のごとく掲げられている。すでに聞き飽きたフレーズだが、この声明でも「資源を売る代わりに、科学技術で金を稼ぐ」のが「科学技術立国」だと言っている。
 「科学技術立国」で突っ走るために大学や公的研究機関に予算を配分すべきだというのがこの声明の主張らしいが、しかしここで一つ疑問がある。はたして大学や公的研究機関は「科学技術立国」にどれほど貢献してきたのだろうか?

 確かに日本はかつて家電や自動車などの工業製品で世界を席巻し、世界トップレベルの経済大国になった。しかし、それは主に松下やソニートヨタといったメーカーの力によってなされたのではなかったか。もちろんそこに大学の貢献が全く無かったなどということはありえないが、それは巷のイメージほどには大きくはなかったかも知れない。
 その理由として、米国などに比べて日本では、大学と産業界(主にメーカー)の間のミスマッチが大きい(と言われている)ことが挙げられる。実際、以下のような声は今でも良く聞こえてくる。(改善されてきたものもあるが)

  • 産学連携/技術移転が遅れている
  • 大学と産業界の人材の流動性の低さ
  • 産業界を大学より低く見る風潮
  • 大卒/院卒でも企業で再教育が必要
  • 大学で最高の教育を受けた博士が企業に敬遠される

 これらの根拠となる資料があるのかどうかは分からないが、事実だとすれば、人材育成/研究協力/技術移転において、大学と産業界の関係はかなり希薄だということにならないだろうか。特に理学系では、工学系に比べて産業界とのつながりが弱く、実用的な研究を下品な金儲けとみなす風潮も強い。産業界を、大学教員になり損ねた落ちこぼれが行くところと考える大学人も少なくない。
 応用研究より基礎研究が崇高かどうかは別にして、基礎研究をおろそかにしても良いとは思わないが、大学や研究機関の(おそらくは基礎寄りの)研究予算を求める声明で、「科学技術立国」を前面に押し立てるのはいささか虫が良すぎる気がする。

*1:これさえ言っときゃ安心という思考停止ワードになりつつある言葉。国民の科学リテラシーの低さ/理系離れ/技術系の待遇の低さなどを考えれば、「科学技術立国(笑)」としたいところ。