物理嫌いが増えるのは当然

また、2chなんかでも、「就職したいなら物理はやめとけ」みたいな意見を時々見ます。物理をやってもうまみがない、という事情が多く存在するのでしょうね。

http://d.hatena.ne.jp/tarutarudarudaru/20080523

私は逆で、「生物を取ると進路が狭まる」と担任に言われて物理を選択した。後からそのアドバイスが間違っていたことに気づいたけど、今はあのとき物理を選択してよかったとは思っている。
当時は自分の進路が決められなくて出来るだけ選択肢を残すように行動していた。理系を選んだのだって「文転」はできても「理転」は困難だと言われていたからで、特に理系科目が好きだったわけではなかった。結局私が理系を選択したのは優柔不断だったからに過ぎない。実際、内心ではそのうち文転して心理学か哲学あたりに進学しようとぼんやりと考えていた。
私の高校では、理系進学者は化学が必修で物理と生物のうちどちらかを2年生の初めに選択するようになっていた。どうせ文系受験するしどちらでもいいやと思っていたのだが、どうせなら嫌でない生物の方を選ぼうとしていた時に上記の担任の言葉で物理を選択してしまったわけだ。
実はその直前まで、私は物理系の教科が大嫌いで物理だけは選択するまいと思っていた。中学と高校1年の物理系教科がさっぱり分からなかったからだ。なのでなぜこのときに物理を選択したのかは自分でも理由が良く分からない。文系受験するつもりでいたのでなおさらである。おそらくは「選択肢が狭まるのは怖い」という意識がこのときも働いたのだろう。
おかげで得意科目が「国語」「物理」で苦手が「世界史」(数学も理系にしてはイマイチ)という受験に不向きな高校生になってしまった。

それにしても高校の物理は物理嫌いを増やすためにやってるような所がある。教師は嫌いじゃなかったけど、教科の指導内容が悪すぎた。私の場合はたまたまファインマンの伝記で物理学者にあこがれたり、『物理の中の数学』(田村二郎 東京図書)や図書室にあった岩波のテキストシリーズを読んだりして、ちょっと背伸びして学ぶことで好奇心を維持できたけど、それが無かったらきっと物理嫌いになっていただろう。特に『物理の中の数学』の存在は大きかったと思う。常に持ち歩いていて一度紛失してしまい、わざわざ買いなおしたくらいだ。この本で、物理での微積分の意味やベクトル解析の初歩を知って、その分かりやすさに感激した。例えば、円運動をしている質点の座標を(r cos \omega t, r sin \omega t)と書いておけば、それを微分することで、回転の速度の方向やその大きさが導き出せるし、2回微分すれば回転を保つための力の向きもその大きさもたちどころに分かる。これらを憶えなければならない「公式」と見るのとは天と地ほどの違いがある。
高校の物理は数学(特に微積分)を使えないという縛りがあるせいでひどく苦痛なものになっているが、それでも中学から高校1年までの物理に相当する教科(理科1分野とか)に比べればずっとましではあった。背伸びして得た知識を使って自分なりに内容を解釈することもできたし、高校の物理でもレベルの高い参考書(『坂間の物理』とか)はそれなりに面白かった。
それに比べ、高校1年以前の物理系の教科はひどかった。あまりに嫌いだったので内容もほとんど覚えていないが、「グラム重」という単位に苦しめられた恨みだけは忘れられない。こんなものを教科書に載せた人物は床に正座させて小一時間ほど説教されたらいいと思う、ホントに。

まあともかく、私が物理を選び、これまで続けてきたのは本当にいくつも偶然があったからだとつくづく思う。(大学院でひどい目に会ったせいで今では愛憎入り混じってるが)私が中学生だった20年ほど前から教育方法に変化があったのかどうか知らないが、昔と同じ教え方を続けているのであれば今の学生が物理を避けるのも当然だと思う。ここを何とかしないと小学生に理科手品を見せても事態は好転しない。

 そもそも「だって見えないじゃん。学校でも教わったことないし」という人が技術者を志すとは思えません・・・。

http://d.hatena.ne.jp/tarutarudarudaru/20080523

いやいや。最近はそういう人も派遣社員として技術の仕事をすることもあるんですよ。