『人体 失敗の進化史』

読了。ずいぶん後回しにしていたのだが、はもったい無いことをした。もっと早く読めばよかった。動物の遺体を解剖することによって人体の進化を追うのが本書の目的であって、間違いなく科学書なのだが、その描写の生々しさはおよそ科学書らしくない。

ピンセットを手にとり、皮膚を引くと、張力で皮が容易に裂けていく。今日の主役、眼下のタヌキは、新鮮な遺体とは明らかに違う。死んで数日経てば、皮膚の裏の組織が崩壊し、一見変わらないように見える毛皮でも、強度を失い、ピンセットで引くだけでバラバラに分解してしまうのだ。

解剖現場のライブ感を感じる。実際、動物の遺体を解剖する機会は突然訪れることが多く、その時に備えて筆者は日頃から解剖のイメージトレーニングを積んでいるという。筆者はこれを消防士や外科医のトレーニングに例えているが、そうであれば解剖が消火活動や手術と同じく動的な活動であるのも自然なことだろう。
タイトルに表れているように、著者は人体をその場しのぎの修正を何度も重ねた「行き詰まった失敗作」と言う。実を言うと当初はこの主張には違和感を感じていた。かつて工学で設計に困ったら生物の体を参考にするのが良いと大学時代に聞いたことがある。生物の体は進化の過程で試行錯誤され、生存競争に勝ち残ってきた成功品だからそれを真似すれば外れは無いというのである。確かにそういう面もあるのだが、少なくとも骨格や筋肉といったマクロな体の構造においては、我々の体はとてもいびつな進化を辿っていることが本書を読み進むうちに理解できた。「失敗作」と言うのも納得である。
ただ、体の構造に対して頻繁に使われている「設計図」という例えは妥当では無い気がする。設計図は単なる情報であるのに対して、生物の体はその情報に基づいて構築された実体のある生成物なのだから。では遺伝子が設計図かというとそれも違う。遺伝子は生命を組み立てる「逐次手順書」であって、それだけで完成後の姿を予測することは(少なくとも現時点では)できないのだから。*1
科学に携わる人なら私と同じく「終章 知の宝庫」を一番印象深く感じるかも知れない。そこでは「お金にならない研究」を続ける科学者である著者の矜持が綴られている。研究費が無くて苦労した反動で、予算を獲得できない研究室はダメだと思い込んでいた私はいささかギクリとさせられた。もちろん全く費用無しでは研究はできないので予算獲得の努力はすべきであるが、だからと言って予算をとり易いテーマに流れてしまっては本末転倒であった。日本の科学技術の政策に関わる行政官にはこの章だけでもぜひ読んでもらいたい。
本書では、骨格や筋肉の写真を掲載してそのその構造を解説している部分があるのだが、一読で理解できずに何度か読み返すことがあった。写真はをよく見て説明をちゃんと読めば理解できるのだが、そこで読むリズムが崩れてしまうのが惜しい。写真を単純化した模式図があればもっと分かりやすくなると思うので、次回作にはそのあたりを期待したいと思う。
本書は非常に面白いので誰にでもお薦めできる。特にこれから進路を考える高校生にお薦めしたい。生物の進化というのはNHKの科学番組でもよく取り上げられるテーマなので、興味をもつ若人も多いと思うのだが、どの学科へ行けばその研究ができるのかはいまいち分からないのではないだろうか。実は生物学科以外にもそういう研究をやっているところがあるという事を知るだけでももうけものだと思う。

人体 失敗の進化史
人体 失敗の進化史
posted with amazlet on 06.08.20
遠藤 秀紀
光文社 (2006/06/16)

*1:もしかするとリファクタリングをせずに修正を重ねたソフトウェアが近いかも知れないが、それもしっくり来ない。