「博士論文審査で金品受領」ってそんなに珍しい話なの?

(一晩あけて冷静になったので書き直した)
北大教授ら博士論文審査で金品受領 【追記あり】 : 5号館を出て
北大以外でもまだあちこちで行われていると聞いていたので、むしろ今さらニュースになることに驚いた。

http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4114493.html

北大教授ら博士論文審査で金品受領

 北海道大学の論文審査で、担当の教授らが、博士号の取得者から現金など謝礼を受け取っていたことがわかり、大学から処分を受けました。


 謝礼を受け取っていたのは、おととしと去年の学位審査を担当した北海道大学大学院の農学研究院と工学研究科、理学研究院の教授ら9人です。


 教授らは、博士号の取得者7人から、現金や商品券など、あわせておよそ61万5000円相当を受け取り、このうち2件の論文審査に関わった教授は、15万円の現金を受け取っていました。


 謝礼金を受け取っていた9人のうち8人は返還していますが、大学は、このうち現金などを受けとった4人を訓告処分にしました。北海道大学は、学位審査にからむ接待や謝礼の授受の禁止などを盛り込んだ再発防止策を打ち出しました。(22日12:46)

謝礼禁止の代わりに手当てを

確かに全面的に禁止するのが筋なのだろうけど、そうなるとこれまで金銭目当てに審査を引き受けてきた教授達が審査を拒否したり、腹いせに悪意のある審査をしたりといった行動に出ないか心配になる。学生からすれば、そんなパワハラを受けるより金銭を渡して機嫌よく審査してもらったほうがよほどマシかも知れない。
一方、教授に潔癖を求めるだけというのも酷な気はする。学位審査というのはそれなりに労力を要するのに、聞いた限りでは基本的に無報酬らしい。謝礼金を厳しく禁止するなら、審査に対する手当てをちゃんと大学から出すべきだろう。

不祥事は出し惜しみが原因を

ところで、学位にまつわる金銭の授与については寺田寅彦寺田寅彦 学位についてという小文を書いている。ざっくりまとめると、「学位の審査はどうしても評価があいまいになるが、論文が公開されることで最低限のレベルは保たれる。だから、惜しまず遠慮なく学位を授与してしまえば良い。出し惜しみをするからこういう不祥事が起こるのだ。」と言うのが寺田の考えのようだ。

濫造したら学位が実力を反映しなくなるという反論が出てくるだろうけど、では今の学位は研究能力の指標としてどれほどあてになるだろうか?研究室によって指導者や研究環境などの条件に雲泥の差がある以上、大学院での成果から学生の能力を公平に評価することなど出来ない。現実的には、学位が「教授の横暴に耐えましたで賞」に成り下がっているようなケースも多々見られる。理由は違うが寺田も*1学位と能力は関係が無いと言っている。

大学でも卒業した人間なら取ろうと思えばおそらく誰でも取れる学位である。取るまでの辛抱をつづけるかつづけないかの相違で博士と学士の区別が生じる。それだからこそ恐ろしく頭の悪い博士もあれば、図抜けて頭のいいよく出来るただの学士も捜せばいくらでも居るであろう。

これは自分の実感にも当てはまる。はさすがに学士と博士が同レベルというのは見たことがないが、修士>博士なんてケースはいくらでもある。

能力の指標にならないのであれば、寅彦の言うように「博士号は一つことを数年根気よく勉強したという身元保証書」として、もっと気前良く出してしまえというのも悪い考えでは無いように思う。

http://mainichi.jp/select/jiken/news/20090422mog00m040009000c.html

*1:昭和初期の状況だけど