技術者とマネジャー

少し離れた席の営業部員に何度かクレームらしき電話がかかってきた。どうやら納品した試作品の完成度が低くて先方がお冠らしい。タイミングの悪いことにその試作品の製造責任者が社外にいるため、気の毒に、その営業部員が中継役としてあちこちに電話をかけている。
実はこの製品は受注の時から高い確率で問題になりそうだと心配していた。その後も折に触れて担当者に自分の懸念を伝えてはきたが、やはりというかあいにくと言うかほぼ予想どおりの状況に陥ってしまったようだ。もし自分が関わっていたとしたら、強く反対するなりそれなりの体制を取るように提言するなりしていただろう。しかし幸か不幸か直接その案件に関わることはなかったので、そんなに強く警鐘を鳴らすことはできなかった。
最初から気になっていたのは、その案件の責任者が仕事の難易度をひどく低く見積もっていたことだ。特に制御ソフトウェアの難易度と納期の見積りが非常に甘いように思えた。その責任者は回路が専門なので、制御ソフトの難易度を判断するのが難しだろうことは理解できる。しかし不思議なのは、自分がよくわからない部分であるにも関わらず、非常に楽観的な見積りをしていたことだ。
自分だったら、仕事の中の不透明な部分はできるだけ早く把握できるようにしたいと思うし、期間やコストも余分に見積もっておかないと落ち着かない。しかし、どうやら世の中には全く反対に、「自分に分からない部分のことを思考から除外してしまう」人達がいるらしい。そういう人達は、自分に分からない仕事は誰かが簡単にやってくれると根拠無く思い込んでいる。裏を返すと自分は自分に出来ることだけやりたいと言うことだ。
思うに、技術者からそのまま管理職やマネジャーになった人はそういう考え方をすることが多い。元々自分の得意な技術で腕を奮うのが好きな人達なので、それ以外のことを考えるのが面倒なのだろう。それでつい自分にとって楽なファンタジーを作り上げてしまう。