『活力を与える「物理」』

内容を想像できないタイトルがついているが、理論統計物理学の権威である著者が統計物理学(特に非平衡系)を一般向けに解説しようとした本である。フラクタル、スケーリング則、相転移、イジング模型などが著者自身の研究歴とともに解説されている。
個人的には、統計物理はきちんと理解していなかった分野だけに、そこそこ有益な本ではあった。しかし、「一般向けの物理の本」としてはいささか難しすぎるように感じた。かと言って、専門に勉強している学生には内容が薄すぎるだろう。どういう読者に勧めたらよいのか迷うが、あえて言うなら「統計物理学は一通りやったけど、さっぱり分からんかった」という物理系の学部生以上だろうか。
弁護すると、著者が素人にも分かりやすく書こうと努力していることは文章からも感じられる。しかし残念ながら素人にとって難しいところのポイントを外しているように思う。難しい部分の説明が簡単すぎたり、反対に直観的にわかる内容の説明が丁寧すぎたり、難易度のちぐはぐさが目立つ。また説明されていない概念や専門用語がいきなり出てくることも多い。
これはおそらく専門家である著者にとって「素人が何を難しいと思うのか」が分からないからだろう。これは専門家の宿命と言える。もちろん素人向けの解説に長けた科学者も存在するが、さほど多くは無いように思う。「素人が何を難しいと思うのか」を踏まえて上手く解説するのは科学者ではなくサイエンスライターの仕事だろう。
とは言え、その分野を深く理解している専門家が一般向けの本を書くこと自体は歓迎したい。その分野の研究の実体験からくる深みにおいてはサイエンスライターは専門家に及ばない。ただし一般向けにするためには、難易度や表現を十分に練っておく必要がある。その役割を担うべきはやはりその本の担当編集者だろう。そういう意味で、専門家による一般向けの解説書の出来上がりには、編集者の力量が大きく影響するように思う。編集者には素人代表として、難解な部分や想定読者の前提知識と乖離をできるだけ小さくする努力をしていただきたいと思う。