『森を守る文明・支配する文明』

森林環境を軸に、歴史と文明について書かれた本書は、上記の『格差社会』とは逆に、著者の熱意が立ちのぼるような本であった。それゆえか、それとも考古学自身の性質からか、論理の飛躍が散見された。しかし、それらは問題ではない。
著者は環境考古学の提唱者である。本書ではメソポタミア文明からヨーロッパ文明の盛衰を森林の荒廃とが関連付けられている。これらの地域では森林をもつ国家が、森から材木、燃料、食糧、治水などを得ることで強大になり、やがて森林の破壊とともに衰退していった。言われてみれば、かつて古代文明のあったギリシア、ローマ、シリアなどの地域の多くは現代では岩と砂に覆われているように思う。(現地に行ったことはないのであくまで個人的な印象)
これに対して、森を守ってきた社会として日本の良さをあげている。かつての農村は水田とともに雑木林に覆われた山があり、その森を祭る神社があった。私自身も田舎育ちで、里山や神社の境内を大切に残してゆきたいと思っている一人である。水に恵まれている、良くも悪くも温和であるといった日本の良いところが豊かな森林と無関係ではないという著者の意見には同意したい。
本書を貫くテーマは、環境保護である。後半の章では日本や中国の「よいとこどりの文化」とヨーロッパの「こだわりの文化」について述べられている。「よいとこどりの文化」の欠点として、自然への甘えがあり、これが環境を管理する意識の欠如につながると言う意見は、実感をもって賛同する。農業従事者の環境意識が必ずしも高いわけではなく、むしろ「埋めといたそのうち腐る」という認識で不法投棄を繰り返す者もいるのだ。これに対して「こだわりの文化」では、人類が自然を管理するという使命感のもと、自らの行動を厳しく律することができると言う。キリスト教世界のヨーロッパで環境意識が高い所以だろう。
手前味噌になるが、「日本人は自然に甘えすぎている」というのは私が長年考えていたことでもあった。人類の活動が自然に与える影響が大きくなりすぎた現代では、個人が環境に配慮する意識を持ちつづけなければならない。本書にはほぼ同様の意見が述べられており、大いに勇気づけられた。

森を守る文明・支配する文明
安田 喜憲
PHP研究所 (1997/09)
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