個人的には研究(もしくは開発)の仕方とゆーのはテクニックであって、個人のキャラや資質に依存するものではないと思っています。
ただ、日本企業の場合、研究の仕方はテクニックではなく、個人のキャラや資質に依存するものとして「向き不向きがあるからねー」で済まされ、結構そのまんま放置されている印象があります。
同感。本来なら大学院こそがそういうテクニックを学ぶ場所のはず。だけど大学の教官でも「見よう見真似でなんとなく」研究をやってきた人は、テクニックとして学生に教えることが出来ない。
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日本の大学院の与える"学位"(博士号のこと)の意味は、
- 大変な院試を通ったので知識は教科書レベルで大体知っている、
- 当然のことながら、やってきた研究周りの手技はそれなり以上に自信がある、
- それなりの数の人のセミナーも聴いた、それなりに研究分野については論文も読んできた、
- ある程度、ペーパーを書く経験もした、
- 何度か学会で発表したし、
- まあ長い間研究をやりました、5年以上の苦痛にも耐えられます、
- ラボの若いやつの面倒も多少見た、
まとめると「経験重視」。教授の指示に従ってなにをやってきたか(耐えてきたか)、が重視されていて、プランニングや思考力や表現力などの一般性の高い知的生産テクニックはそれほど求められない*1。
企業が「博士は専門化されすぎていて雇いにくい」と言って敬遠する理由の一端はここにある。
この7つのスキルが「英語で」出来るというのがアメリカの学位の意味、
- その学問分野における偏りのない、大学教員ができるレベルの体系的な知識
- その学問分野における現在の重要課題とその背景の包括的理解
- 論理的な批判力、論点、課題推敲力
- 強いanalyticalな文章を書く力。特に論文とグラント申請、、、+"Science is a writing business"と言って非常に重視
- 人前での発表、対応力
- 自分で活動を設計し、活動をマネジメントしていく力。これにはアドバイザーや必要な周りの人も含めた調整力も含まれる
- Undergraduate(=賢いが無知な人)にわかりやすいように教え、幅広い質問に答え、導き、encourageする力
こちらはかなり普遍性が高い技能が目標とされている。(アメリカの博士がみんなこれをクリアしてるとも思えないけど)
アメリカの博士の進路はバラエティに富んでいるらしいが、こういった一般性の高い技能を大学院で身につけていることもその一因なのだろう。
*1:もちろん全部ではないけど、そういう研究室は少なくないと思う