「数学」は言葉

数学は言葉 - hiroyukikojimaの日記
数学本について

書き手が後者を突破する道は二者択一である。第一の道は、数式を使わず、極力日常の言語で表現すること。第二の道は、あえて「数式言語の読み方をレクチャーする」ことである。でも、第二の道を選択する書き手はほぼ皆無である。

多くの人は、「教科書は平易に記述しているだろう」、と思いこんでいる。でも、教科書さえ、「第一の道」を選んで、読者にへつらってしまっている。そういう安易な読者への迎合が、結局は、読者の数学への一生もののアレルギーを生み出してしまっているのが悲しい。教科書は、面白くない上、記述が厳密でもなければ、わかりやすくもない。だから、教科書など何度読み返しても、「数学のわからなさ」を払拭することはできない。なぜなら、教科書さえ、「数式をわからせよう」という努力を怠っているからだ。

 これには全く同感。一般向けの数学や物理の本には「数式を使わない」という枕詞のついたものが多いが、実はこれがよけい数学や物理をわかりにくくしている。(それで、ますます数式を省略してさらにわからなくなるという悪循環。)
 特に物理にとって数式は、自然の「仕組み」を表すのに使われるものなので、それを取っ払ってしまうということは、仕組みを隠したまま結果を羅列することにつながる。これことが物理が暗記科目と誤解される原因だになっている。
 中学や高校の教科書もこの例外ではない。さすがに「数式を使わない」と宣言している教科書は無いかもしれないが(有りそうな気もする)、力学を教えるのに微積分を使わないのだから、必要な数式を隠しているという意味で同じことだ。

 この険しい第二の道に、勇猛果敢に挑んだのが、新井紀子『数式は言葉』東京図書である。新井さんは、今をときめく売れっ子数学ライターでありながら、こういう不毛地帯に突撃したのはさすがの思いっきりだとアッパレに思う。

 『数学ガール』も第二の道に挑み、しかも成功した本だと思う(なにせシリーズ1冊めは既に13刷)。実はこの分野を不毛地帯と思っているのは出版社だけで、それなりに力のある人にとってはニッチで豊穣な土地なのかも知れない。


P.S. ところで上記のエントリ、タイトルはちゃんと『数学は言葉』となっているのに、文中の書名が全て『数式は言葉』と間違っているのはいただけませぬ。
(追記)その後修正されました。