「できること」をやってるだけで良いのか

http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20081120/177889/?P=5

問題を解決するために必要なことをやるというよりは、できることをやるという感じ。いつもそうですね。ここまでだったら妥協できるというような。

記事とはまったく関係ないけど、身の回りでも、事態の改善につながらない事を必死にやっているのをよく見かける。(2008-11-17で書いた機体の交換作業もその一つ。)
「できることをやる」と言うとどちらかと言えば前向きな姿勢に取られることが多いように思うが、それなりの立場の人間が使う場合には責任と思考の放棄でしかない。もっと言うとその人の能力が不足していることを意味する。つまり、「問題を解決するために必要なこと」を考え出せなかったから、ただジタバタしてマグレに期待します、という意味になる。
確かにそう言うしかない状況というのもあり得るが、「できることをやる」だけなら誰にでもできるのだから、責任のある立場の人間が堂々と言うような言葉ではない。

日本が反省しないという問題は、経済問題に限ったことではなさそうです。その理由の1つは、官僚機構が非常に強いこと。反省の過程では誰の責任かを追及することになる、それは嫌だということです。責任の追及の問題と、政策評価の問題はいったん分けて考えることはできるはずです。そういうことをきちんとやらなければいけない。われわれがやり残した宿題が、いまだにわれわれの首を絞めているという感じです。