大学教員に教育させないシステム

大学教員は恐ろしく多忙です。正直なところ,学生の指導に時間を割く余裕はないでしょう。その余裕がある人は,よほど熱心な人か(多分寸暇を惜しんで教育,研究されているでしょう),あるいはとても暇な教員だと思います。大学教員に熱心な教育をさせないようなシステムを構築しているとしか思えません。
高等教育の解釈 : ある理系社会人の思考

大学教員は恐ろしく多忙な人からかなりヒマな人までかなりの個人差があるように思うが、ヒマな教授がいたのは10年ほど昔のことなので、今はだれもが忙しいのかもしれない。実際この数年、知っている人たちは皆さん割と忙しそうではある。
大学教員に教育をさせないシステムになっているというのは多分その通りなのだろう。傍目にも、文科省の制度変更や大学の独法化などがより教員に負担を増やしているように見える*1。特に目に付くのは管理の強化と人員の削減である。私の知っている研究室でも、この5年ほどで技官や秘書などを雇用することができなくなり、教官の負担が増えた。スタッフが減っているのだからなおさらである。その一方で実験機器や薬品の管理が強化されるなど、雑用は増えている。本来なら事務や実験設備の管理は秘書や技官に任せて、教官は、教官にしかできない研究や教育に集中できるようにするべきだろう。

大学院においては「教えてもらえるとはあまり思わないほうがよく,自分で学び取るつもりでいなくてはならない」と今でも思っています。
高等教育の解釈 : ある理系社会人の思考

これはその通りだと思う。ただし、文科省や大学や教官が教育をないがしろにする言い訳に使われることも多いので、あまり声高には賛成したくない。

とどのつまり,高等教育は「学生が自主的に学ぶような環境を提供すること」と定義して良さそうです。
高等教育の解釈 : ある理系社会人の思考

異論なし。これだけは教官にきっちり責任をもってやっていただきたい。もちろん国や大学もこれをサポートすることを目指した制度を設計してもらいたい。
「学生が自主的に学ぶような環境」を作るとは、つまり研究室を適切に運営するということだ。具体的には、適切な研究テーマを設定し、研究費を確保し、適切な研究チームを構成し、外部の研究者や企業と交流する、といったことになるだろうか。研究プロセスが適切であれば、学生がそれを経験する中で、実験手法や論文の書き方といった実務知識を身に付ける必要が出てくるだろう。この段階になって始めて学生の自主性が要求される。
逆にそれまでの研究プロセスを学生が自主的に進めるのは非現実的である。

*1:大学内部で非効率な会議が多いのも原因の一つかもしれない