生きがい論は若者に通用するか (宮田秀明の「経営の設計学」)

http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20070123/117507/?P=1

 そうして気がついてみれば、40〜50代の技術者の年収が同じ年代で金融業に勤めるサラリーマンの半分だったりする。国に守られて国際競争に二の足を踏んできた産業の方が、インセンティブが高いという現実がある。

理科離れを何とかせねば」と言う発言が、「我々のために下働きする技術屋が減るのは困る」という発想から来ているのだからしかたが無い。「下働きにインセンティブなど必要ない。(by トーマ)」

 「夢」もなく、「インセンティブ」も少ない。まるで清貧に甘んじるような技術者の生き方を、現代の若者に理解させることは難しい。生きがい論で引っぱるのには無理がある。毎年、担当する学科の3年生50人に自動車やエレクトロニクスや重工業の現場を見学させ、並行して設計を講義する科目を設けている。その見学レポートを見ると、多くの学生が製造現場への感動を記している。

 だが、その感動が製造業への就職につながる学生は多くない。素晴らしい仕事の割にインセンティブが低いことを、親を見たり、企業情報を見たりして学生は見抜いているのである。彼らは、価値のある仕事には、相応のインセンティブがあるべきだという考え方を持っていて、極端な場合は製造業の技術者を不思議な存在と思う。こうした考え方は、次第に広がって理系離れを加速する。

「やりがい論」が通用したのは今の30歳前後の世代までなのかも知れない。最近の学生はインターネットによる情報流通が進んだことで世事にたいして利口になっているのだろう。実際、これほど年金問題格差社会などの社会不安があれば、やりがいより金銭を優先させるのは当然と言える。


http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20060424/101627/

 「大学発ベンチャー1000社計画」という政策がある。これには大きな疑問を持っている。仮に1000社がすべて成功して、それぞれが年商1億円の企業になったとしても総売上額は1000億円でしかない。日本経済に影響を与えるには小さすぎる。

ノーベル賞30人」もそうだが政府の立てる数値目標がいつも「質」ではなくて「数量」なのはなぜだろう。数を数えるだけで小学生にでも「政策の評価」できるからだろうか?
そのくせ目標達成後には責任を負わない。大学院重点化、ポスドク問題なども全く反省していないことがわかる。

 大学に画期的な技術のシーズが創生されていて、それを事業化するパターンであれば、これまでにも成功例が存在するし、企業規模を大きくできる可能性がある。しかし、徒手空拳の学生たちが起業するパターンの場合、経営経験もなく、確たる後ろ盾もない若者の奮気に期待するのは少なからず無責任であろう。